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クジラが好きだ 2

2010.01.10 Sunday

「日本人とクジラの長い歴史と伝統に、外国人の過激派が攻撃をしている」
水産庁とその天下り団体である日本鯨類研究所が、今回もそんな方向に世論を誘導しようとしているのが見え見えなので、何やら危険なものを直感してこの日記を書いている。

        
日本人とクジラはとても素敵な歴史を持っている。
しかしそのことは「外国人の過激派」はおそらく日本人以上によく知っていると思う。
まだ商業捕鯨が禁止されていなかった時代に、グリーンピースが日本の捕鯨船に対してだけは最後まで攻撃をしなかったのは、そのためだった。

日本でクジラ獲りには男たちが命をかけていた。
一頭のクジラを捕獲したら骨一本無駄にせずに使った。
だから一頭のクジラで村は一年間食べていけた。
クジラは神のように崇められ、日本各地に鯨神社があった。

縄文時代から日本人は鯨食をしていたと言われている。クジラと日本人の素晴しい関係は長く続いた。少なくとも明治時代の半ばまでは。
明治の半ばに日本政府はノルウェイ式漁法を採用することを決めた。
全国のクジラ獲りたちは大反対をした。死傷者が出るほどの反対運動が起きた。ノルウェイ式漁法は、クジラへの敬意のかけらもない、残酷な漁法だったからだ。

それ以来100年間の商業捕鯨/調査捕鯨は、日本の長い歴史伝統を踏みつぶした上に行われてきたものなのだ。
現在いったいどれだけの日本人がそんな歴史を知っているのだろう。

                         
                                                                          (続く)





南風椎のニュー・グリーティングブックスはこちらで。




コメント
大反対をした海に生きたクジラ獲りたちはそのごどうなっていったのだろうか? 結局少数派になってその精神はどこにも受け継がれなかったのだろうか? 文明化を積極的に受け入れたことの賛美がこのところまた高まっているが、嫌な風潮だね。
  • Kitayama "Smiling Cloud" Kohei
  • 2010/01/10 10:50 AM
北山耕平さん、
100年もたつと古来の捕鯨技術はこの国では絶滅しているのでしょうね。アメリカ大陸のイヌイットたちに学びにいくのもいいかも知れません。
そう「1000の風」という祈りの言葉を生んだと言われるマカ・インディアンも捕鯨をする人たちでしたね。
  • 南風椎
  • 2010/01/10 11:23 AM
南風さん、北山さん

近代捕鯨では、捕獲技術は異なるものの、クジラ捕獲後の解体技術などは、古式捕鯨時代伝来のものですよね。

古式捕鯨の精神的な部分、技術を用いて生命をあやめることで自然の中から富をとり出して生きてゆかなければならないという原罪意識というのは、日本の近代の商業捕鯨に携わる人たちの中にも受け継がれていったと認識しています。
1990年代に撮られた日本の沿岸捕鯨についてのドキュメンタリー映画『鯨獲りの海』の中にも、それは見てとることが出来ます。

「どこにも受け継がれなかったのだろうか?」というのはちょっとちがうと思います。

http://www.cine.co.jp/works1/whalers/index.html
佐藤剛裕さま

「自然のなかから富をとりだして生きていかねばならない」という原罪意識は、古式捕鯨の精神から受け継いだものなのでしょうか? 北米太平洋岸のクジラや海獣の猟で生きる人たちには「いのち」にたいする尊敬はあるもののそれを「富」として見ることはないように思えました。共同体というものの存在が背後にあり、その内部での分配が基本で、キャピタルの介入する基盤はなかったと思えます。原罪などと言うものはそこにあると思えません。共同体の崩壊が、富という考え方を生み、原罪を産み出したようにも思えます。捕獲技術が近代化したときに、人間とクジラのノンバーバルなコミュニケーション関係も終わってしまったような気がします。

  • Kitayama "Smiling Cloud" Kohei
  • 2010/01/11 10:14 PM
狩猟を行う人々に共通して見られる感覚として、人間の糧とするために命をあやめることの罪深さへの認識があり、それをあがなうための祈りを捧げて動物の霊を鎮め、調和をとろうとしてきたとおもいます。

アイヌの人々がイヨマンテで動物の霊を丁重に森に送り返したきたのと同じように、捕鯨を行うアメリカ大陸の人々も、鯨の霊魂を海に送り返す祈りを捧げてきたことでしょう。イヌイットの人々は、そのような霊的な循環を発生させながら、過剰な捕獲を行わないように、厳密な観察と記録をもとに資源管理を行ってきたことが近年の研究で分かってきています。そのような、いわば「野生の科学」ともいえる知恵を働かせていたからこそ、現代まで厳しい環境下でプリミティブな生活を保持できたのだと思います。

http://www.minpaku.ac.jp/staff/kishigami/hito96.html
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/41/research_21.html

日本の古式捕鯨技術は、水軍を構成していた海の民が戦闘技術とともに発展させてきたものですから、もうすこし海賊的なものですよね。「鯨ひとつとれば七浦潤う」と言われていたように、近世の人々の感覚からすると、そこには富をとり出すという意識が明確にあったと思います。ただし、鯨の霊魂の供養は行ってきましたし、鯨の個体数を保存するために、子連れの母親は獲ってはならないというような独自の掟が存在していたようですね。

そのような自然と暮らす知恵が技術の近代化で失われてしまっている、と嘆くだけではなく、そのエッセンスの部分を技術の変化に対応させて、新しい表現をみつけていくのが、我々残された世代の仕事ではないでしょうか。それが危機に瀕しているならばよみがえらせることを考えるべきではないでしょうか。

プリミティブな暮らし方を伝えてきた人々から、なんとなくロマンチックな雰囲気だけを持ってきて感傷に浸るのではなくて、彼らが行ってきたことを綿密に分析して、現代の技術の変化に対応するような努力をすれば、グリーンピースやシーシェパードのような、つたなくて傲慢な表現よりももっとまともな方法が見つかるはずではないかと思っています。
クジラに対してだけでなく、すべてのいのちに対しての関わり方を学びなおす必要がありますね。ありとあらゆるいのちが含まれている輪の修復を地球は人間に求めているのでしょう。聖なるものが失われた事とも密接に関連しているので、また、スピリットの存在を認めるかどうかでも、アプローチが異なってしまうからややこしい。ぼくはそれをプリミティブとは見ないで、プリンシプルと考えるようになっています。
  • Kitayama "Smiling Cloud" Kohei
  • 2010/01/16 11:45 AM
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プロフィール
本名・長野眞
フライ・コミュニケーションズ代表

1948年生まれ。1971年に上智大学を卒業後、新聞記者、コピーライターの仕事を経験し、シカゴに留学。4年間の滞在を経て帰国後「日本国憲法」(小学館)を共同編集したことで本を作る楽しさを知り、フライ・コミュニケーションズを設立。
数多くの書籍を企画、編集、執筆し、言葉と映像の新しいコラボレーションを探ってきた。
現在は横浜の小さな森の中で自然とともに暮らしている。
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